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【時計愛を具現化した創業者3人(その1)】

2022.06.10
パリス・ダコスタ・ハヤシマ 時計の写真

その名は”パリス ダコスタ ハヤシマ”(Parris daCosta Hayashima)

パリス・ダコスタ・ハヤシマ(PDCH)。本稿読者で、どのくらいの方がご存知でしょうか。PDCHは時計好きが集まり立ち上げたメゾンで、その製造はスイス・ヌーシャテル州フルリエで行う独立系腕時計ブランドで本社は福岡です。

長いブランド名は創業者3人のファミリーネームを連ねています。IT会社を中国で経営するドイツ人のリチャード(パリス・リチャード)。医薬業界向けのコンサル会社を経営するトム(トム・ダコスタ)、そして私(ハヤシマ・サトシ)の3人です。

このコラムでは、パリス・ダコスタ・ハヤシマ(PDCH)の誕生秘話をはじめスイス時計の歴史を、4本のコラムに分けてご紹介させていただきます。

「飲み屋の立ち話」

時計業界も宝飾品業界も高級ブランドの経験も無いただの時計ギークのオヤジ3人。好きが講じて起こした小さなメゾン。起ち上げたきっかけも、欲しい時計が無いのなら、自分達でつくってみようと「飲み屋の立ち話」からはじまります。

パリス・ダコスタ・ハヤシマ  時計のラフ画
メゾンを立ち上げる前にホワイトボードを囲んで議論、筆者撮影

およそ10年前、ロンドンでトムの結婚式があり、同席していたリチャードとトムと話が盛り上がり、互いの趣味が腕時計だということがわかりました。それからリチャードと3人で会うたびに、時計の話で盛り上がります。そして徐々に、我々が理想とする腕時計がありそうで無いことに気が付き、「だったらつくろう!」というのがきっかけでした。博多の人は飲み屋で語り、次の日には「そんなこと言ったっけ・・・」と続かないのが常識ですが、そこは三国同盟有言実行です。まぁ、すんなりいくものでもなく、今でも多難の連続で、それ自体を遊びのように楽しんでいる状況です。

パリス・ダコスタ・ハヤシマ 時計の写真
プロモーション用の写真撮影の様子、筆者撮影

土地の力

パリス・ダコスタ・ハヤシマ(PDCH)はブランド構築の際、その土地の力を信じています。同じ時計でもスイスやドイツやフランスと聞くと、その土地の匂いと同時にブランドがもつ特有の何かが浮かび、時計の表情やスタイルをイメージします。もちろん国産(日本)時計も同様です。理想の時計を想う中、PDCHが考えた場所はスイス。しかもマニアックにヌーシャテル州フルリエでした。この感覚は、国産の時計だと岩手で、中でも雫石だねという感覚にすごく近いと思います。

「ヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエ(VMF)」の建屋(ヌーシャテル州フルリエ)
「ヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエ(VMF)」の建屋(ヌーシャテル州フルリエ)

スイス時計産業は4世紀以上の伝統と歴史があります。スイスには専門的な知見と高度な技術が集積しており、継続的に技術革新が行われ世界市場でもトップクラスの地位を維持しています。アイフォンやアップルウォッチがあれば時間を気にする必要は無い時代ですが、当時は時計を腕に巻くサイズにすることは革新でした。今ではチープカシオなどの時計は1,000円くらいで購入できますが、クオーツ時計の技術も当時はセンセーショナルなものでした。

パリス・ダコスタ・ハヤシマ 時計の写真

当然、水につけても大丈夫という商品は無く防水機能を取り入れることも、スマートに腕に収めるために薄く小さなムーブメントを開発することも全てにおいて歴史と技術と試行錯誤の蓄積があってこその作品なのです。そして上記の技術は全てスイスからはじまり、徐々に世界に広がり当たり前になっているのです。スイス時計に各々のブランドイメージがあり力があるのは、このような400年以上の歴史があるからだと思います。

コラム2へ続く≫スイス時計のはじまり

プロフィール
Parris DaCosta Hayashima創業者・ディレクター
早嶋聡史 (はやしまさとし)
所属:Parris daCosta Hayashima (パリス ダコスタ ハヤシマ)
専門分野:時計
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