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【時計愛を具現化した創業者3人(その2)】

2022.06.10
パリス・ダコスタ・ハヤシマ 時計の写真

その名は”パリス ダコスタ ハヤシマ”(Parris daCosta Hayashima)

パリス・ダコスタ・ハヤシマ(PDCH)。本稿読者で、どのくらいの方がご存知でしょうか。PDCHは時計好きが集まり立ち上げたメゾンで、その製造はスイス・ヌーシャテル州フルリエで行う独立系腕時計ブランドで本社は福岡です。

このコラムでは、パリス・ダコスタ・ハヤシマ(PDCH)の誕生秘話をはじめスイス時計の歴史を、4本のコラムに分けてご紹介させていただきます。

スイス時計のはじまり

時計産業の歴史は14世紀頃から始まります。当時の機械式時計の製造はイタリア、ドイツ、フランス、イギリス、オランダなどが盛んで、時計自体は貴族の贅沢品か或いは船舶用の付属精密機械としての需要でした。当時のスイスは今のように世界を席巻する存在ではありません。

16世紀半ばのジュネーブから本格的な歴史が始まります。当時、スイス・ジュネーブでは宝飾細工が盛んで多くの職人が仕事をこなしていました。

しかしフランス出身の神学者であるジャン・カルヴァン(Jean Calvin)の宗教改革を皮切りに華美な装飾品の着用が禁止されます。1541年のことです。その結果、これまで金細工職人や宝石商などで活躍していた人たちの仕事が急激に失われていきました。

背景を説明します。当時のマジョリティであったカトリックは、極端な話、「聖書の解釈はローマ教皇と聖職者の役割だから一般人は教えを請い従いなさい」的な超上から目線でした。カトリックの特徴である善行主義は、もとは恵まれない人に施しをすることを大切にしていました。しかし、徐々にローマ教皇に多額の寄付をすることも善行として認められるようになっていきます。

その結果、カトリックの信者やそのお偉いさん方が悪いことをした場合、「贖宥(しょくゆう)状を発行する代わりに、多額の寄付をしませんか?」的な動きが盛んになり、聖職者が権力と富を握り、汚職や不正が横行し始めるのでした。

ここに対してメスを入れたのがドイツの神学者、マルティン・ルターです。ルターは、「神と人が向き合うのが基本で、善行ではなく信仰そのものが大切だよね」と当時はおそらく命がけで宗教改革を起こした人物です。

同じ時期、コペルニクスは当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)に気がついていましたが最後まで正式な出版を行っていません。おそらく教皇に目をつけられるのを恐れたからでしょう。このことを考えると、ルターの改革は素晴らしく勇気のある行動だったと想像します。

当時、ルターの宗教改革を後押しした技術に印刷がありました。印刷技術が発達する以前、大衆がオリジナルの聖書を目にする機会は極めて少なかったと思われます。そのため神やキリストの教えが書かれている聖書は、ローマ教皇や聖職者が大衆に伝えるしか方法はありませんでした。そして一部の心無い聖職者の存在が、聖書の解釈を自分の都合が良いように行い大衆を操作した事実があるのです。しかし印刷技術の発達により、オリジナルの聖書がどんどん刷られます。同時に様々な国の言葉に翻訳され、一般大衆にも直接自分の目と心で聖書を読むことができるようになったのです。

この動きがスイスでも広がり、ゴージャスなカトリック、富と権力を集中する聖職者や教皇が批判の対象になり、カルヴァンは贅沢品を目の敵にしたのでしょう。そして同じ頃、フランスではユグノー(カルヴァン派の新教徒であるプロテスタントのフランスでの呼び名)と体制派のカトリックの間で30年以上にわたるユグノー戦争が勃発していました。当初フランス王家(ヴァロア朝)はカトリックとユグノーの対立を利用してより自分たちの立場を強化しようと試みました。しかし、ユグノーの勢力が徐々に強まりユグノー率いるブルボン家のナヴァル王アンリが優勢になりフランス王となったのです。

このユグノー戦争中、30年もの間、フランス国内で弾圧を受けていたユグノーがジュネーブやベルンなどのスイスの都市に亡命していきます。その結果、当時パリで盛んだった時計産業のノウハウもユグノーを通じてスイスに流入していったのです。カルヴァンの宗教革命で職を失ったフランスの金細職人や宝石商はこれらをチャンスと捉えて、時計産業に生き延びる道を見出したのです。そして時計と宝飾の技術がジュネーブを中心に融合してスイス時計産業が本格的にスタートしたのです。

1601年、ジュネーブで世界初の時計職人のギルトが設立されて、その後100年で多くの時計職人がジュネーブで技と経験を蓄積していきます。そして溢れかえった職人は、徐々に工房をジュネーブからジュラ山脈付近にまで広げていきました。ジュラという単語はジュラ紀のジュラです。恐竜好きでなくても聞いたことがある言葉でしょう。地質学における地質時代の1つでジュラシックなどもジュラ山脈が語源です。石灰岩を主とする堆積層の山脈でスイス高原を形成しています。古くからフランスとスイスとイタリアの堺にあり、地理的文化的な境界として機能する場所だったのです。

コラム3へ続く≫エタブリサージュ

プロフィール
Parris DaCosta Hayashima創業者・ディレクター
早嶋聡史 (はやしまさとし)
所属:Parris daCosta Hayashima (パリス ダコスタ ハヤシマ)
専門分野:時計
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